世界最大級のギター工場 Fender Factoryに行って見た!
どーも
sorabeatsです。
今年は
1月にインド、2月に台湾、6月にアメリカ、10月に香港と
約1ヶ月間、海外で過ごすというワールドワイドな1年だった。
金さえ払えば行きたい所に本当にいけるんだなと再認識できた変な年であった。
さて、
せっかく音楽をやってる人間として
世界最大級のGuiter工場 Fendar Factoryに行ったのに発言する場がなかったので
今日はその時のブログです。
Fenderって、なんぞやという人のために一応こちら
Fenderコロナ工場は
ハリウッド駅から電車で約2時間半そこからタクシーで10分ぐらいのところにある。
結構、市街地から離れている場所にあり
工場の最寄駅近くはのどかな住宅街だ。
前日、予約が必要なのだが
結構、Fenderさんのレスポンスが悪いので
とりあえず現地に向かいましょう。
ツアーは無料
工場の受付に入ると
Fenderのギターのオブジェ
か、か、かっこいいい。と思ってたら
受付のオッサンに足元を指さされ
「サンダルはダメやで!」と怒られました。
同じ状況に陥っていた
東海岸から来た白人ファミリーに頼み、車で靴を買って来てもらいました。(歩ける距離にスーパーマーケットとなどはないです!バスなどもないので、uberなど入れておきましょう!)
是非、行くかたは靴をお忘れずに!
ツアーが始まると
フェンダーさんがお出迎え
創業者のレオフェンダー
どんな人かはこちらから
こちらがフェンダーの最初の秘密基地
英語は全くわからなかったけど
ラジオの制作の延長線上でギターを作り始めたらしいです。
あとで、英語ができる友人に聞いたら
「Wikipediaに載ってること言うてたで」と言われたので
こちらを引用
カリフォルニア州フラートンに生まれ、若い頃から電気工学への関心を示した。高校時代には、趣味としてラジオの製作、修理を行った。1928年に高校を卒業し、フラートン短期大学に進学する。そこでは会計学を専攻し、卒業後カリフォルニア州ハイウェー局で会計係となる。数年の勤務後、1938年にラジオの修理会社の『フェンダーズラジオサービス』を始める。フェンダーは、クレイトン「ドクター」カウフマンと共に、ラジオの修理業からエレクトリック・スチール・ギターとアンプの製造へ手を広げた。カウフマンとの事業を終え、フェンダーは「スペイン式」ソリッドボディ・エレクトリックギターのアイディアに興味を持った。
1950年、ジョージ・フラートンと共にエスクワイヤーとブロードキャスターを発表する。それらは、フェンダー社によって製造された、最初の標準的エレクトリックギターであった。ブロードキャスター(Broadcaster)の名称はグレッチ社の商標(グレッチ社はBroadkaster)だったため、しばらくの間ヘッドのデカールのブロードキャスターの部分だけを切り取って販売。これがいわゆるノーキャスターで、その後当時人気を博しつつあったテレビにあやかって、テレキャスター(Telecaster)として発売された。1951年には、プレシジョンベースを発表。それは、演奏者に最も影響を与えた楽器の一つとなった。
テレキャスターの名前の由来はブロードキャスターだったとは
そしてこちらががテレキャスター初号機
いざ、工場内へ!
おばちゃん達が
世界的ミュージシャンのギターを作ってると思うとグッとくる!
この木を
型とって
こーなる
こちらオーダメイド
ネックに穴開けるのが担当のおばちゃん
そして、ボディへ
オッサンが爆音で丁寧にボディを削っていました。
ネックとボディを合体!
そして、塗装!塗装後は機械で削ります。
ネックおばちゃん
テレキャスおばちゃん!
僕の好きなギターの音色が
このおばちゃんのゴッドハンドから作られたと思うと感謝しかない。
できた楽器は工場内で3日干す!
天井にはFenderだらけ
テレキャスおばちゃんとここが1番の見所!
最後の調整
勿論、アンプはFender!!!
完成されたら
世界中にギターたちが跳び立つ
うーーーん、かっこいい。
って、ことで
本当に1本、1本のギターが手作りで作られていました!
ここで作られたギターに同じものはない!
つまり、1本、1本、音が違うんだ!
うーーーん、かっこいい!
って、ことで
ダサい靴買って来てくれた
白人家族ありがとうございました。